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2007年06月27日
現実の悪夢を見た一夜
手術を終えた6/26の夜勤であるナースと、悪夢のような時間を明朝まで過ごす事になったと悟ったのはかなり夜が更けてからだった。
麻酔で身体が不自由ながら携帯電話のテキストメモに苦労しながら記録したものを赤外線で転送して、細部を補足して日記にしたててみた。当日の事はよーく覚えているので勢いに任せて一気に文章にしたから、変な所も多いが雰囲気重視なので大目に見て頂きたい。
ちなみに嘘偽り無く、これはノンフィクションである。本当に悪魔のナースか、本当は白衣の天使かは別として。
16時
病室に戻ってきた。手術前の腰椎麻酔はチクッと痛かったが、それよりも点滴に混ぜた麻酔が痛かった。そしたらいつの間にか眠っていた。
今病室で横になっている。寒気と震えが酷く震えが止まらない。麻酔後は体温が下がるのだと説明を受けた。電気毛布してくれているしレベルは最強。それでも寒くて震える。体温が何度になっているのか知りたい位だが、実行に移す気力があまり起きない。
腰痛っぽい痛みがする。腰椎麻酔をした部分が痛いのか、それとも腰痛なのか分からないが、とにかく痛い。病室に戻ってきてから1時間経ったが下半身の感覚まだ戻らない。チンチン付近感覚なし。っていうかチンチンをつまんでみるとブニョブニョして気持ち悪い。自分の身体を触っている感触では無い。
股を打った時のような痛みがする。下腹部がズキズキする。この痛みはナースには分からんやろうな。もう少し我慢するか。
18時
過ぎても感覚戻らず。下腹部の腹痛は腸にガスが貯まっているせいだと思うが根拠は無い。たださっき少しだけガスが移動した感触があり、内臓がギュルルと動いた。その時に痛みの場所も動いた気がするのだ。ナースに再三言ってるが、様子見しましょうとの事。おいおいふざけんな。
病室内は夕食だ。腹へった。左足先の感覚が戻りつつある。右足はまだ感覚が無い。
19時半
友達が来てくれた。笑い話とかしていたが、術後ということもあって早めに皆引き上げていった。まだガスがでない。下腹部がマジに苦しい。なんとかしてくれ。
ナースを呼ぶ。ガスがたまってんじゃないかな?さっきお腹がグルグルって言ったんだけど、と告げると「じゃあ浣腸しましょう」との事。もうこの際浣腸だろうがお願いしますよ。マジに死にそう。んで言われたのが「5分は我慢して下さいね」って。我慢出来るなら我慢するけど。「その前にお尻の感覚全く戻ってないんだけど、我慢って出来るんかな?肛門に力を入れても動いている感触無いんだけど? 」と言うと、左足太ももを触り「これ分かります?」と言う。触られているのは分かると言うと、「××筋の感覚が戻っているので大丈夫ですよ」との事。言われるがままに横向いてお尻を出した。付き添っていたカミさんはカーテンの外に出された。
「浣腸しますね」と言ったと思うが、全くお尻の感覚が無い。ナースが「あ!」と言った。何が起こった?全く感覚がないんだけど。「全部出ちゃいましたね」って全く下腹部の痛み取れないんだけど。「もうしばらく我慢してて下さいね。出そうになったらナースコール押して。」と言ってステーションに戻ってしまった。背中に妙な湿っぽい感触が伝わってくる。何だこの湿り気は?動きにくい身体で下を見てみたら、紙おむつが敷いてある。それが手術着に染みこんで背中に湿っぽい感触となって伝わってきているのだ。手術着はびっしょり濡れている。どうやら浣腸液をこぼしやがったみたいだ。
待てどもガスは出ない。腹痛も限界を越えた。下腹部を押してみるとめっちゃ腹筋がパンパンに硬直している。いや、腹筋じゃないかも知れない。こんなところに腹筋は無いハズだ。もしかしたら死ぬかも知れん。またナースコールを押したら悪魔のナースが来やがった。ガスも出ないし腹痛も酷くなるし、下腹部がガチガチになってるしもう我慢限界やからなんとかして欲しいと訴える。「内臓が破裂するなんて事はないよね?」と質問したら「そんな事はないです大丈夫」と言って、ちょっと待ってねとまた戻っていった。
20時過
ナースが当直の医師を呼んでくれた。ようやく医者が来てくれたのだ。なんとか命は助かった。下腹部が痛いし張っている旨伝える。触診にて直ぐに帰ってきた言葉は、「膀胱がパンパンに張っているね」とのこと。小便が溜まって膀胱がパンパンに張りそれが下腹部の痛みだったと判明した。そりゃそうだ、考えてみたら15時前から点滴を落としながら手術を受け、病室に戻ってからも点滴追加しとるやんけ。いっこも尿意が催さないから一滴も出してないわ!
医師が悪魔のナースになんとか言う管を持ってくるように指示。まず細い管を尿道に通す。管には潤滑用のジェルを塗りながら挿入するので、嫌な感触はするが痛みはほとんど無い。どうやら尿を出したりする筋肉の感触は戻ってきたようだ。しかし管を通して溲瓶で受けようとしたが肝心の尿が出ない為、もうちょっと太い管を持ってくるように指示している。なんちゃらバッグとか言うのを持ってこさせて接続されると尿がチョロチョロと出始めた。このまま明日まで付けたままにしとこうと言って医師は引き上げていった。
少し経ってから悪魔のナースが巡回に来た。バルーン(小便を貯めるバッグ)を見て「丁度1リットルだね。いっぱい溜まってたんだね♪」と嬉しそうに言った。この瞬間「こいつワザとやってたんとちゃうやろな?」とピピッときた。浣腸と言い、浣腸液こぼしと言い、そう言えば聴診器を下腹部に当てたりして聴診もしてたよな看護士が膀胱の張りを見分けられんハズないで..俺今夜殺されるかも..orz
20時半
ガスが出た。というよりも麻酔が切れて内臓が活動を再開したのではないかと思う。
23時
チンチンに入れられた管が尿道を擦れてしまい、動くと痛くて堪らないから、押さえたまま堪えてる。痛いからかめちゃくちゃチンチンが小さくなっている。かつて見たこと無い位小さい。長さ二センチくらいってありえないでしょ?術をした方の足に震えが出初めた。ブルブル震える。
23時15分
アキレス腱辺りに痛みがはっきり感じられ始めた。踵に打ち込まれた金属棒の感触がなんとなく分かる。想像するとえずい。
01時10分
足全体が腫れたらしく、ギブスがキツイ。ナースコールしたら別のナースが来た。めっちゃ横柄な態度のナース。スタスタとステーションに戻ったと思いきや、クッションを持ってきてどさっと置き、ギブスの足を持ち上げ高くして帰っていった。たったこれだけかい?
バルーンの管を行ったり来たりする尿の感触が嫌で堪らない。残尿感が絶えずあり、せっかく出て行ったと思った尿が管を行ったり来たりするのだ。チンチンから出て行く感触は良いとしても、戻ってくる感触は普通あり得んやろ。悪魔のナースに外してくれと頼むが、また出なくなったら先生を呼ばなくてはならなくて困るからと、朝一番で先生を呼んでドレンを外してくれる約束をした。ホンマに朝一で外してくれるんやろな。
自律神経失調症の症状がもろに出始めた。変なことをマイナス思考で考え出した。
今日の事は、悪魔のナースが全て仕組んだシナリオで、俺はそれにはめられたんだ。だいたい、看護士が膀胱の張りを見つけられない訳がない。俺に最大限の苦痛を味わわせる狙いに違いない。そしてもう限界と言う時に医者を呼んできてバルーンの管を通さしたんだ。
そう言えば浣腸をするって言い出した時に、うちのかみさんは横におったよな。浣腸する時は外に出されたけど、浣腸液をベッドのマットがびっしょりになるまでこぼすなんてあり得んやろ。あの時肛門から浣腸液を入れられた感触は全くなかった。ベッドがびっしょり濡れたのはわざとや。それに気づくハズやのに。それに家に帰って自律神経失調症の薬を持ってきてくれるって言ったのに忘れてやがった。そうやかみさんもグルやったんやな。
そう言えば、友達が来た時に下腹部が痛いって俺言ったのに、バルーン管入れられたこと有るって奴はその可能性について何も教えてくれなかったな。だから勝手にガスが溜まってるんじゃないかって思ったんだし、友達までグルになってたんか!そう考えたら病室の患者も全員グルちゃうか?俺が苦しんでいるのを聞いてほくそ笑んでるに決まってる。
でも待てよ?俺のおかんは田舎におるけど、絶対に俺の敵では無いよな。全員が敵でもおかんだけは俺の見方をしてくれるハズや。何かあったら絶対に駆けつけてくれるハズや。それにお義母さん(かみさんの母)も俺の味方だよな。いつも良くしてくれる、しかみさんの悪口言ってもそうそうって一緒に頷いてくれるし。でもそう考えたらその子供であるかみさんは俺の敵って事は無いよな?って事は友達も敵じゃないって事か?でなきゃわざわざ見舞いに来て気を利かせて早く帰ったりしないよな。悪魔のナースだって、実は経験値が足りなくて俺の容態の悪化に対処するのが遅れたのかも。
などと考えていたら、スーッと気が楽になって マイナス思考が収まった。と言うよりマイナス思考をプラス思考に変換する方法=頭の中で敵を作らない=味方を作る事に気づいた。現実世界はどうかとしても、頭の中でなら何とでもコントロール出来てしまうわけだ。実際マイナス思考だと自分が辛いだけだし。どうせならプラス思考に持って行って、楽になった方が幸せジャン。
思わぬ収穫であったが、現実はまだ苦悩が続いていた。
- ベッドが濡れている
浣腸液をこぼされているので体温で暖めても乾かない。
悪魔のナースが紙おむつを敷いていったが全然吸収しない。 - 手術着がぐっしょり浣腸液を吸い込んでいるので気持ち悪い
- 浣腸液が手に着いているからとベタベタする
身動き取れないからベッドに手をつくから絶対に手に付着する
それでベッドの手すりを握ったりしているから汚い。携帯電話も...最悪や - バルーン管が尿道を擦れて痛い
なるだけ動かない様にしているが、ちょっとの事で痛い
しかもチンチンは体温調節で伸び縮みするからその度に尿道が擦れる - バルーン管を行ったり来たりする尿がうざい
残尿感と戻る尿の感触は最悪や。これは拷問器具にもなるやろ
(医療器具って殆どが拷問の器具になりうるな。SMの世界やわ。) - 浣腸液を少し入れられたのは本当らしい
だからお腹がグルグルするが、おまるに出そうとしても体勢が悪くて出ない
いつまで経っても出そうで出なくてでも出そう
とりあえず出来る事をやろうと決めた。
手術着は点滴の管が通っていても脱ぐことが出来る。だからシャツを着替えてしまおう。着替えても点滴をしている方の腕は通せないから、片方だけは通さずにいるしかないな。
濡らされたベッドからの逆流を防ぐ為には、紙おむつを逆にすべきではないか?なぜならいくら上から重しをかけても吸い込まないって事は無理だという事だ。しかもその方向だと暖めて気化したした水蒸気がおむつの通気穴を通って衣服に吸収されるから、いつまで経っても乾かない。これは悪魔の看護婦が仕掛けた巧妙なトリックに違いない。
手に着いた浣腸液は、ウエットティッシュで丁寧に拭いてしまって、余計なところに触れないように気を付けよう。そうすればベタベタは多少マシになる。明日シーツを交換してもらい、洗面に手を洗いに行く迄の我慢だ。
バルーン管については結構な長さを入れられているし、膀胱ってばい菌が入ったらやばそうだから、勝手に抜くのはマズイよな。明日朝一で医者に来て貰えるようにしつこく念押しするしかない。
浣腸液でガスが出る度に出そうな感触は耐えるしかない。とりあえず出てこない姿勢で横になっていれば出ないだろうから、明日点滴が外れてからトイレに駆け込もう。
こんな計画を練ってみたら少し気が楽になった。どうだ悪魔のナースめ。俺はお前には負けないぞ。絶対に明日の朝まで耐えてみせる。こんな事を考えながら時計を見ても10分が本当に長くて、とても後6時間なんて耐えられるもんじゃないな。ふぅ~眠れたら少しは楽なのに(薬を飲んでないから神経がピリピリして眠れない)。
しかし、朝が来なかった日は歴史上一度も無い訳で、朝7時になるといつもの通りナースが病室を巡回始めたりバイタルをとったりし始めた。もう一息の我慢や。8時になったら朝食や。これを食って9時頃には先生が来てバルーンを外してくれて、点滴もとりあえず終わるから身動きが取れるようになる。
ところが9時になったら、日勤のナースが抗生物質の点滴をもって現れた。ウソ!点滴終わりちゃうのん?でも30分あれば落ちるからもう少しの我慢で済むという。ついでにバルーン管の取り外しについても、朝一でドクターが来てくれる約束になっとるんだがと言うと「バルーンは私達で外せるのでドクターは来ないですよ」と言う。ウソやろ!あいつ(悪魔のナース)は、バルーンはドクターが外す=ナースでは外せないというニュアンスで言ったハズ。てめぇ、自分で外せるんじゃねえかよ!マジに怒りがこみ上げてきたが、半分はどうでも良くなった。とにかく外してくれ~
9時半には点滴も終わった。そしてバルーンもナースが外してくれるという。え?密かに可愛いなぁと思っていたナースが外すって。管が擦れて痛くて、かつて見たこと無い位小さく縮んでいるチンチン見られるの(汗 それって洒落にならんわぁと思う反面、もう悪魔のナースにも肛門も見られてるし、今更可愛いナースだからってチンチン見られても関係ないわいと開き直りの気持ちが出た。パンツを自分で降ろして「早く外して」と頼むと
「ちょっと痛いからね!」
と言ったと思いきや、表情を変えずに管を引っこ抜きやがった。この痛みと感触は表現しづらいのだが、膀胱から尿道を通じて何かをズルズルと引き出される感じで、身体が勝手にブルブル身震いする感触。加えて尿道とシリコンチューブの摩擦(ジェルはもう無くなっているから摩擦する)でチンチンに激痛が走る。この女可愛い顔してサディストやな。マジにナース恐怖症になった..orz
とにかく点滴、バルーンと外れたら解き放たれたような気分だ。車椅子をゲットしトイレに走らせる。グルグルいっているお腹から全部出してやる、出してやる!便は出なかったが恐らく直腸に残っていた浣腸液を出すことに成功したらしく、グルグルはぴたっと止まった。ついでに小便もしてやる。ところが痛い!激痛じゃ。尿道が炎症を起こしているらしく激痛が走る。小便するたびに痛むんか?何時になったら治るんやろ?痛みはともかく残尿感は払拭できた。小便が自分の意志で出せるって幸せ。本当に生き返った気分だ。
その足で洗剤付けて手洗い手洗い。顔も洗っちゃうぞ。歯磨きセットも持ってきて歯磨きだ。車椅子で行ったり来たりしながら、一晩中出来なかったことを次々済ませていく。これは快感だ!っていうか、当たり前の事が出来ないのは、苦痛だという事を初めて知った。五体満足って事はそれをもし失ったら苦痛になるんだな。当たり前の事を有り難いと思わなくてはいけないと改めて思った。
どんどん身の回りを綺麗にしていくことに成功したが、ベッドだけは病院のスタッフの力を借りないとどうしようもない。途方に暮れていたら、帰ったと思っていた悪魔のナースがひょっこり現れた。「バルーンも外れたし良かったね」と寂しそうな顔で言う。コイツも絶対にサディストや!間違いない。
「ベッドのシーツがベタベタやろ、これ交換してくれへんやろか」と言うと、
「どうして?直ぐに乾くよ」
「だって浣腸液やろ、このままだと不潔なんちゃう?」
「ううん、大丈夫だよ」
おいおい、どいう基準で大丈夫なんだよ?病室の掃除(消毒)とかこまめにやってる癖に、こういう所は適当かいな?大体ここ相部屋なんだから他の患者にも迷惑なんじゃないか?
悪魔のナースに言っても無駄だと悟ったのでもうそれ以上は言うのをやめた。こうなったら他の人に頼もう。待っていたらベッドメイクなんかをよくやってくれている看護助士ってのかな?(ナースエイドと言われているらしい)のおばちゃんが来た。この人はきれい好きで親切だと数日前から感じていたので、事情を説明したらもちろん交換してくれるって言った。ただ、マットを切らしていてお昼過ぎにならないと届かないってので、それまではバスタオルを敷いて我慢して下さいって。そうだよバスタオルがあったんじゃんか!あいつ(悪魔のナース)間に合わせで紙おむつなんか敷いてごまかしやがって。
もちろんマットが届いてからシーツ交換して頂きました。サラサラのベッドシーツはめっちゃ気持ちいいな。ナースエイドのおばちゃんに、ありがとうって心からお礼を言いたい。
痛み止め(ロキソニン)が毎食後で処方されたので、手術後の痛みは殆ど感じ無くなった。ギブスの中に入っちゃってるから傷口は見えないし。もっとも、ギブスから飛び出した踵の部分は取り扱い注意で気になるけどね。踵をぶつけたりしたらそのまま骨に衝撃が走るからね。
悪夢を見た一日が過ぎたら、嘘のように快適な入院生活が待っていた。
もっとも、後に暇で退屈でやってられなくなるんだけどね。
この日記は入院中のメモを元に後から書き起こしたものです。
2007/08/28
投稿者 sasapurin : 15:05 |骨折 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月26日
踵骨折の手術
私は主治医の説明を聞いて、手術を受ける方を選択したのだが、手術に際しては色々な問題が起こるものである。私にとってオペ室に入る様な手術は人生で始めてであり、貴重な経験ではあったが、苦悩も多かった。
手術は今日の15時からである。腰椎への麻酔注射による下半身麻酔で手術を行うことになった。下半身麻酔にはやはりリスクが伴う。最近は麻酔によるトラブルも減ったとは言え、まだまだ色々なトラブルに遭遇することが言われており、必ず手術前に同意書を書かなくてはならない。
お昼過ぎてからの手術だというのに、麻酔のために朝から絶食である。自律神経失調症の薬も飲めない。しかし気分的には落ち着いていてそれほど不安は無い。皆が食べている朝食、昼食が羨ましい。入院患者の楽しみと言えば食事くらいなものだ。あとはナースとの他愛の無い話と、患者同士の会話くらいか。
手術が近くなって来たので、ルート確保という作業をするらしい。なんのこっちゃ?と思いながらナースの話を聞いていると、どうやら点滴の針を血管に入れて外れないようにして、生理食塩水を落としておくことをそういうらしい。本当のところはどうか分からないが、多分そんな感じだ。
当日の部屋の担当ナースが、妙に慎重に点滴の針を肘の内側に付けてくれた。このナースとはそこそこ話が出来るので、リラックスして針を入れるのを待つことが出来た。最近の点滴針は細く柔らかいので、昔ほど痛くは無いのだそうだ。それでもやっぱりチクッと痛いのだが、 一発で決めてくれたので凄く楽だった。針に繋がった管にはコックがついており、手術後も数日抗生物質の点滴を投与する為、針を取り付けたままにするのだそうだ。それで念入りに管を固定してくれた。その仕上がりを見て、この病院に運ばれてきた時に手首に点滴の針を付けたメガネっ娘ナースを思い出した。やっぱあの時血だらけにされたのは慣れてなかったんだな。このナースへの信頼が一気に高まった。多少管を引っ張っても針に力がかからないようにわざわざ管をUターンさせてから固定してくれているのだ。
オペ着と呼ばれるちょっと変な服に着替えするように言われた。パンツだけ履いていて、シャツは脱いでおくようにとのこと。オペ着は横になった状態でも脱がす事が出来る特殊な構造になっている。
担当ナースは、手術前になるとソワソワして先輩と思われるナースに色々相談していた。見た目はその先輩ナースの方が幼い顔をしているから、どっちが年上やねんと思ったのだが、何時も冷静な表情でちょっと恐い感じだ。でも笑うとメチャクチャ可愛いというのを知っている。滅多に笑わないみたいだが。
「オペ出し始めます」とナースが言い出した。私の場合は足なので点滴スタンドを転がしながら車いすでオペ室に向かう。ナースが二人後ろから押してくれて、よく分からないが初めて通る場所に来た。この病院にこんなところがあったのか。知らなかった。オペ室に通じる踊り場で少し待つ事になった。
そしたら急に小便をしたくなった。マジかよ?と思いながらナースに「おしっこしたくなった」と言うと、担当ナースがどうしようとソワソワして、先輩ナースに相談したら、すぐ脇にトイレがある事がわかった(笑 点滴が繋がったまま片足で立ってドアを開けっ放しで(仕方ないジャン)用をたした。どうやら担当ナースはまだこの病院歴が浅いらしい。
暫く待っていたら、マスクをしたスタッフが数人待っていてくれてストレッチャーが運ばれてきた。スタッフが数人集まった。ザワザワし始めた。私は寝たきりでは無いから、片足と腕でストレッチャーに自分で乗り移った。なんだかちょっと緊張してきた。ナースが「よろしくお願いします」と私をストレッチャーごと引き渡した。ドアが閉まった。空気が変わった。
マスクをしたオペスタッフは、目しか分からないが年齢は様々。殆どが女性スタッフだった。オペ室に入ると広い部屋の真ん中に不思議な形の台と沢山の器具やモニターが並べられている。もちろん天井側には照明器具がいくつもあり、その場は特殊な空間だと瞬時に悟った。
ストレッチャーからオペ台にゴロンと転がる様にして移った。そしてオペ着の背中を脱がされ、腰椎に麻酔をうつ時が来た。「身体を丸くかがめて」と言われてぐっとお腹をまるめた。「チクッとするけど我慢してね」と言われて覚悟をしたが、想像していた程は痛くなかった。暫くすると足が暖かくなってきた。仰向けになるように言われそれに従う。そして濡れたガーゼか何かで「これは冷たいですか?」と左足と右足に触れて感覚をチェックされた。右足は触れられているのは分かるが、温度は分からない時点で、私の場合は踵を手術するので、うつぶせで寝るように言われた。目の前には心拍モニターや血圧計などが並んでいて、それを操作する女性が居た。
じわっと下半身の感覚が鈍くなってきた。触られているのが殆ど分からなくなってきた。ドクターが女性スタッフと色々準備を始めている間、向かいに居る計器を監視しているスタッフにちょっと質問した。点滴に新しい管が接続されて、注射器のような薬品を自動的に押していく様な装置が接続されていたからだ。これが何なのか知りたくて訪ねてみたら、「うつぶせで1時間はしんどいですから眠くなる薬を点滴と一緒に入れますね。ちょと痛いですから我慢して下さいね」という。なるほどそういうものなのか..と思った次の瞬間、点滴の針を刺している左腕にズーンとする激痛が走った、痛いっ痛いっマジに痛いっ、腰椎の麻酔注射なんかよりずっと痛い!と思ったら次の瞬間には気を失ってしまったようだ。
点滴のルート確保とはこういうものだったのか。この担当に命預けてるんだなと後で悟った。
「終わりましたよー」という声に気づいて目覚めると仰向けにストレッチャーで寝ていた。見事に睡眠の薬で眠らされていたって訳だ。足は痛むどころか、下半身の感覚が全く無い。病室のベッドに戻るとナースや男性スタッフが集まってきて、下に敷いてあるマットごとベッドに移された。自分で動こうにも動けないのだ。
ナースから簡単な注意があった。要するに大人しくしとけって事だ。
- 麻酔が切れる明日の朝までは絶食で水分も取ってはいけない
- 極力動いてはいけない(麻酔の後遺症で頭痛がする)
下半身が肉のかたまりの様に重く、おしりの辺りを触ってみてもプニュプニュで自分の身体とは思えない。麻酔が完全に効いている証拠だ。動こうにも動ける訳がない。下半身が不随になったらこんな事になるのかとぞっとした。障害を抱えている人の苦労が少し想像出来た。
時計を見てみたらオペ出しの時間から丁度1時間位であった。案外時間経ってないんだな。ってことは手術はあっさり終わったって事か。麻酔とかの準備段階で結構時間食ってたからな。
暫くすると妙なことに気づいた。下腹部に鈍痛があるのだ。なんか覚えのある痛みなんだけどな..分からないので我慢していた。かみさんと、お義母さんが見舞いに来てくれていたので、他愛の無い話をしていたりした。
時間の経過と共に同じ痛みを感じた経験が有る事の確信をつかんだ。子供の頃ボール遊びなんかをしていて、股間に直撃を食らった時に感じた痛みである。キンタマを強打した時の痛みと言えば分かるだろうか。この痛みは女性にはわからないだろうな。そうは言っても痛いもんは痛いから、ナースコールして痛みを訴える。ところが来たナースはオペ出しの時とは違うナースであった。そうか夜勤に交代してんのか。
この悪魔のナースと明日の朝まで付き合う事になろうとは、この時は想像もしていなかった。
この日記は入院中のメモを元に後から書き起こしたものです。
2007/08/28
投稿者 sasapurin : 18:00 |骨折 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月23日
踵を骨折してもうた
土曜日の夕方、自宅でごちゃごちゃやっていて、つい横着して一階の外にあるガレージへ行くのに、玄関からまわるのが面倒で、窓からぴょんと飛び出したらコンクリートの地面に着地した瞬間鈍い感触が伝わり、次の瞬間歩けないことに気づいた。見る見る腫れてきて一目で「骨折した」と分かった。久しく感じたことの無い激痛である。
激痛で冷や汗を垂らしながら、片足でピョンピョン飛び跳ねながら玄関に周り家の中に居た家内を呼んだ。玄関の段差をあがる事さえ出来ない。座り込んで大丈夫なほうの足でケンケンしながら移動するしかない。タクシーを呼んでもらい病院へ行くことにしたが、痛みが激しくてどこの病院が良いとか、健康保険証とか、考える余裕が無くて家内に任せた。
歩くことが出来ないため、トレッキング用の杖を引っ張り出してきてもらい、それを使いながら片足でケンケンしながらタクシーまで歩き、苦労しながら乗り込む。激痛の範囲がどんどん広がってどこが痛いんだか良く分からなくなってきた。
家内が行き先の病院名を指定し、タクシーを走らせてもらった。病院の受付で事情を話すとなんだかんだ手続きみたいなのをやって時間がかかり、痛くてたまらんのになかなか診て貰えない。ようやく外来待合に移動するように言われ、守衛と思われるおっちゃんが車椅子を持ってきてくれたのでそれで移動する。しかしここからも長かった。
外来は早いもん順だから仕方ないのだが、激痛がどんどん足全体に広まってきて感覚が鈍くなってきた。もちろんちょっと触ると激痛がするのだが、足首 の辺りが異常に腫れてしまい、形が変わっている。足首を骨折したんだなと思っていた。ずいぶん待たされてからちょっとした触診と目視で、レントゲンを撮る と言い出し、レントゲン室に運ばれた。レントゲン技師と一緒に医師も立ち会っていたのだが、どうやらこの医師は当直医で、整形外科医ではないことになんと なく気づいた。どうしたらよいか戸惑っているのだ。
色々な角度から撮影するために足の角度を変えてくれと言われ、痛みを堪えながらその指示 に従おうとした。踵を台にそっと置いたところ激痛が響き、思わず「いてぇっ」と声がでてしまった。医師が「え、踵が痛いの?」 と言いそれで初めて踵が痛いことに気づいた。レントゲンは足首を撮影しようとしていたのだが、急遽踵の撮影に変更された。
最近のレントゲン はすぐに結果が見られるようだ。痛みを堪えながら開いたドアから隣の部屋のディスプレイに映った映像が小さく見えた。医師がレントゲン室に入ってきて「踵 の骨が折れてるよ。これはかなり痛いと思うわ」と言った。あんまり偉そうな先生じゃなかったが、ちょっと頼りなさげだったのは、自分の担当する科と違うか らだろう。
治療室に運ばれてから添え木をして包帯でグルグル巻きにされた。そしてストレッチャーで横になり、点滴を受けることになった。骨 折のショック症状を防ぐために点滴をするんだそうだ。ただ、横になっているのでハッキリ見えなかったのだが、処置室の女性が私の左手に点滴をの針を取り付 けるのにどうも苦労している感じがす。何度もテープを貼ったり剥がしたりしているのが伝わってくるのだ。ようやく終わった様で、「楽にしていて下さいね」 と言ってどこかに行った隙に左手を見てみた。点滴の針につながる管を固定するために透明の広いシートを貼り付けてあるのだが、その中が血だらけになってい る。それを見て「やっぱり苦労していたんだな」と悟った。まぁそうやって上達して行くんだから仕方ないわなと自分に言い聞かせおとなしくしていたのだが、 時折襲ってくる激痛で足がブルブル震える。
しばらくそのまま放置されている間に、どうやら家内が問診を受けていた様だ。終わってから部屋に 入ってきて、「どう?」と聞く。どうって言われても「痛いに決まってるじゃん」としか言えない。そのまましばらく待たされてから、ようやく医師が来て「今 日は整形外科医が居ませんから月曜日まで待たないといけませんが、今夜どうします? 入院されるか一度帰宅するか?」というのだ。
今日は土 曜日。月曜日まで専門の医師が来ない。ってことは痛みに耐えながら待つしかないのか?なんで整形外科病院でなく、こんな総合系病院に連れてきたんだよ?と 家内を責めたくなってきた。まぁ仕方ないのだが。 一度帰って月曜日にまた来るのは辛すぎるし、今夜の容態が変化した時に看護士が居てくれた方が安心との意見もあり、入院することになった。入院に際しての 問診や申告事項、注意事項の説明などを済ませて居たら21時近くなってしまった。面会は20時まででとっくに過ぎているのだが、事情が事情だけに許してく れた。
腹減ったなぁ~。家内も当然晩飯を食っていないし病院の食事はとっくに終わっている。看護士の許可を得て家内に近くで買ってきてもらって食った。足が激痛でも食えるもんだな。結局家内は22時近くに病院を出て帰宅した。食後にいつも飲んでいる自律神経失調症の薬が無い。明日持ってきてくれるということだったので我慢することにした。
点 滴をしているので、強制的に水分を体内に入れることになり、勝手に尿意を催してくる。看護士から渡された「尿瓶」を使って始めての用を足さなくてはならな い。足は痛くて踏ん張れないし、点滴の管は付いてるしどうすんねん?と思いながら試行錯誤したところ、点滴スタンドの下辺りで足を床に下ろし、片足を付い てズボンと下着を下げて小便をすることにした。しかし、非日常的なスタイルでは尿が出ない。出そうと思っても体が拒否している感じだ。結局尿瓶を持ったま ま格闘し5分位経ったところで、少しずつ出てきた。こりゃ寝たきりになったら小便も出来んな...
点滴はずっと続けられている。尿瓶への小 便も慣れてきた。一晩に何度用を足したことだろう。いつの間にか尿瓶が一杯になってきた。そろそろナースコールを押して処分してもらわんと溢れるな(笑) と思いながら寝ていたら、ナースが来て尿瓶を持って行き空になった尿瓶を戻してきた。どうやら点滴をどれくらい落としたらどれくらいの尿が出るか分かって いるようだ。しかし妙に思ったのは空になった尿瓶が妙に小便臭い。洗ってくれてないのか..orz しかし痛みがひどくてもうそんなことはどうでも良く なっていた。
私は痛みには結構耐えられる方で、多少のことでは「痛い痛い」と訴えたりしないのだが、24時を過ぎた辺りで、熱が出てきて 痛みも激しくズキズキするようになった。ちょっとこれは耐えられない痛みだ。恐らくアドレナリンとかの分泌が無くなり、リアルな痛みに変わってきたためだ と思う。流石にきついので初めてナースコールを押し痛みを耐えられない旨伝えると、「座薬を入れましょう」という回答だった。痛み止めとちゃうんか?それ に座薬ってことは肛門から薬入れるんだよな..でももうそんな事気にする余力も無くなった。素直に「お願いします..」と頼んだ。
ナースス テーションに座薬を取りに戻ったナースが、ビニール手袋をして懐中電灯を持ってやってきた。横になって下さいと言われてそれに従う。お尻を出して懐中電灯 で肛門の部分を見られている。げげげー恥ずかしいな。と思っていたが、力を抜くように言われてそうしたら、すかさずグイッと座薬を押し込まれた。慣れてい るのか一瞬の事だったのでなんか良く分からなかった。とうとうケツの穴まで見られてしまったか。
座薬はそれほど効かなかったが、ぎりぎり我慢できる位の痛みだったので、その後は尿瓶を使っては片付けの繰り返しで朝を迎えた。自律神経が暴走しかけだったのでピリピリして眠れるはずが無かったのだ。
この日記は入院中のメモを元に後から書き起こしたものです。
2007/08/28
投稿者 sasapurin : 23:45 |骨折 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月20日
法事の為に帰省してたよん
先週から実家に帰省してた。今年はやな年で、婆ちゃんが二人他界してしまった。今回は二人目の婆ちゃんの49日法要の為に帰省したのである。
初めてJR(新幹線と在来線)で田舎まで帰った。本当に今までで初めてJRを使った。理由はANAがボンバルディアを飛ばしていて、ボンバルディアは故障が多いと昔から言われているのになかなか対処しないから、事故に遭うのも嫌だし、もう乗らないと心に決めて、この前はゼファー750で帰った。でも今回はおかんが、頼むからバイクで帰ってくるのは止めてくれというので(どうせこっちに居る時は乗るから同じだと思うんだが)、やむなくJRにした次第である。
JRにしてみて良かった事は、料金的に一番安い方法だと言うことだ。Yahoo!の路線情報で検索した値段よりも実際の方がずっと安くて、なんだよな、Yahoo!使えねぇなとマジに思った。検索はJRの方でやらないと正確な料金出ないね。ちなみにバイクで高速を使って帰るよりも安かったのだ。
それに道中の時間が有効に使える事だ。車かバイクを運転していたら、運転しているから本も読めるハズがない。運転は好きだけど高速道路を走るのは暇すぎて直ぐに飽きる。時間がバカらしく勿体ない。だからと言って一般道を通ると渋滞にはまるから時間も勿体ない。結局高速道路を通る方が合理的だとは思う。でも退屈で仕方ないし苦痛なので、時間が本当に勿体ない。その点JRなら乗り換えの時以外は本を読んだり携帯電話をいじったり出来るから快適。
新幹線はやっぱり速いね。車で似たルートを通った事があるけれど、やっぱり新幹線の方が断然速い。しかしJRにも欠点があって、在来線に乗り換えてからがメチャクチャ時間がかかる。恐らく高速道路を車で走る方が速いと思う。結局まぁ似たり寄ったりの時間になるのだが、新幹線がバカっ速なので、トータルすると少しだけJRの方が速い。
そんな訳でJRで往復して来た訳だが、法事を月曜日にやったから集まった親戚は婆ちゃんの子供(私には叔父、叔母)と従姉妹が二人に私が一人。ごくこぢんまりと行った。私のオヤジは長男だし、私も長男なので風習的に私が継ぐ事になっており、まぁ色々親戚からも要望っちゅうか言われた。ま、要するに田舎に帰ってこんのか?という感じ。私は直ぐにでも帰りたいのだが、田舎にやりたい仕事がないので、そういう仕事の種になる行動を起こせる様に訓練してから帰ろうと思っている。
しばらく居残りしたかったけれど、かみさん一人残してるし(インコの世話があるから)、ハローワークにも行かなくてはならないので、今日慌ただしく自宅に戻ってきたのである。でも交通手段としてJRは結構いいなぁと思った。後は時刻表をしっかり押さえておかないとロスするのを学習したので、次回はちゃんと時刻をチェックして待ち時間を少なくしたいと思う。ホント、季節はずれのJRは交通手段としてオススメですぞ。
投稿者 sasapurin : 20:00 |雑記 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月15日
ものごとを知らないってのは損するね
学校を卒業して就職して以来、20年弱ずっとサラリーマン務めしてました。働いて働いて稼いだ給料を趣味に使ったりして時々生き抜き。でもほとんどの時間を仕事に費やしてきたのは不器用な生き方してきたなと今反省しています。世の中には他にももっと大切なことがいっぱいあると言う事を、退職してようやく知ることが出来たから。
例えば今は「失業中」の身なのですが、雇用保険の制度を使うためにハローワークに時々行って話を聞くのですが、知らなかったことばかり発見の連続なんですね。20年近く社会人やってきて今頃知ったんかい!と自分を叱りたい気分になる。
会社組織では総務部の担当者がやってくれていた諸手続、税金や年金などの支払いなどなど、法律に従った処理をしてくれていたのです。それを自分でやるようになって、始めは分からないことばっかり。正直言ってストレスに感じていたけれど、今は結構新しい知識を頭に入れるのが楽しかったりする。
知らなかったことと言えば、クレジットカードの仕組みである。私は基本的に現金主義なのだが、出張などでまとまったお金が出ていく時は、敢えてクレジットカードを使ったりする。それは記録が残る事もあるし、財布の中の現金がどんどん無くなっていくから、いちいちATMで預金を引き出すのが手間だからだ。以前はコンビニのATMで何の気ナシに引き出していたのだが、105円、もしくは時間外だと210円も手数料を引かれる。疑問に思っていなかったのだが、今考えたらアホらしくて涙が出てくる。
さて、クレジットカードに話をもどすと、どうして手数料がかからないのかな?と疑問に思った。調べてみたら加盟店(店舗など)が手数料を数パーセントクレジットカード会社に支払っていると言うのだ。なぜそんな手数料を負担してまでクレジットカード取り扱いの加盟店になるのか?それはお店を経営するイメージを頭に浮かべると分かる。要するに現金を持っていない顧客を逃がしてしまうのは惜しいからだ。つまりクレジットカードの手数料以上の利益が売り上げとして乗っているという訳だ。
Googleで検索していて、そのあたりの事情(加盟店手数料)を詳しく解説してくれているページをみつけた。お店の業種によって加盟店の手数料率が違うのがなんとも言えない。量販店などは手数料が安く、バーやクラブなどは手数料が高い。つまりそれだけお店の販売価格も高いという訳だ。これが社会の仕組みという訳か。
そこで興味深いというか、過去の記憶を思い出させる記述に目が行った。どこの店だったかは覚えていないのだが、たまたま現金の持ち合わせが少なくて、クレジットカードで支払おうとしたら、手数料がかかりますと言われたのだ。確かそれに不満を感じつつもクレジットカードで支払った記憶がある。ところがリンク先には、
この手数料とは「加盟店手数料」のことで、クレジットカードの利用者が支払う必要はありません。
と書かれている。 なんてこったい、てめえんところが払うべき手数料を、客にふっかけて来てやがったのか!もうおそらく10年以上昔の事だが、思い出しただけで妙に腹が立ってきた。本当に知らないと言うのは損なことだ。もうこんな思いをするのは嫌だね。
もし、今後同じ様なことを言われたら、今度は「加盟店手数料を支払う義務はないと」突っぱねてやる。それでも手数料を要求してくる様な店なら、もちろんクレジットカード会社に通報してやろうと思っている。それは社会のルール違反だからだ。 私はモノを知らない癖に、こういうのが妙に許せないタチなのだ(苦笑
知識は無駄にならないから、これからは色々な事に興味を持って生きていこうと思うのであった。
参考サイト(めちゃ詳しいよ!)
http://www.super-creca.com/
投稿者 sasapurin : 18:08 |雑記 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月14日
今更だけど欲しいソフトウェア
昨年仕事を辞めて自宅療養を続けて来た関係で、体調の変動はありつつも時間はそれなりにあるので、実家と自宅を行き来する事が多かった一年だ。加えて今年度は体調もかなり回復して来たことから、何かあると実家に帰ったりして、ThinkPadもフル活用で酷使している。
そんな状況なので、ThinkPadの中にはかなり重要なデータも入っている訳で、万一ThinkPadを紛失したり盗難されたりした時には洒落にならんのである。 データを失う事はまだ耐えられるが個人情報流出ってのが一番怖い。Windowsのパスワードなんか簡単にハック出来る時代、NTFSの暗号化だけじゃとてもじゃないが安心出来ない。
そこで思い出したのが、かつて暗号化のパスワードを忘れると復元不可能と騒がれた、「Microsoft Private Folder」である。自分のブログにも記しておいたから記憶している。
企業ユーザーがカジュアルな気分で入れてみて、パスワードを忘れてしまい、復元出来なくなったから何とかしてくれと泣きついてきて、サポート仕切れないからと(正確には違うだろうがそんなもんだろう)配布を廃止にされてしまった、曰く付きのソフトウェアである。
MSがさじを投げるくらい強力なセキュリティが施せるのなら、その暗号化フォルダに例えば銀行の情報とかその他色々を保存して持ち歩きたい。マスターは家にあるから、最悪ThinkPadを盗られたりしても、情報が流出する事はあり得ないだろう(と期待している)。
なんとか「Microsoft Private Folder」が手に入らんもんかなぁと、Google先生に尋ねてみたところ、嬉しい情報を書いてくれているブログを発見。「http://pnpk.net/cms/archives/162」
これだけ世界は広いから、どこかで手に入るだろうとは思っていたが、問題はそのファイルの信憑性というか、本当にオリジナルなのか?ということが問題だ。上記のブログは嬉しい事に、ハッシュ情報を書いて下さっていた。あとは自己責任でなんとでも出来るって訳だ。本当に感謝。
Microsoft Private Folderハッシュ値
MSPF10ENU.msi
MD5:3208C3A421113BDDBE8423DA9846B8C4
SHA1:342B2B51C2A8447A2DBBF1C731BBC15052C3FCC9
CRC-32:5A97CEA0
方法は記さないがインターネット上で早速見つけてダウンロードしてみた。一つ目はWGAを解除したというもので、当然ハッシュが違う。これは危険過ぎるからインストール出来ない。幸い二つ目でハッシュが一致するものをゲットした(^。^)
本当に有り難い事です。@ITを改めて読み直して使ってみます。
投稿者 sasapurin : 19:19 |Windows系 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月11日
フリーランス~起業
自律神経失調症を患って会社を半年休み、そのまま退職して早くも一年半が経過してしまった。まぁそれは気にしない事にしておこう。自律神経に良くないのである(w
最近、実家に帰省して田舎で畑耕したり、草引きしたり、お天道様に当たって作業をしたりしていて、かなり体調が改善された。主治医に報告したら「土に触れるのはまだ解明されてないけれどこの手の症状改善に有効」なのだそうだ。そう言えば以前にも、政府だか行政だかが、自律神経系の疾患を持っている人の回復プランとして、農業に携わる機会を持たせる試みをしている様な事を言ってた気がする。田舎がある自分は恵まれていたって事か。
それはさておき、最近ようやく体調が改善されてきたのだ。よく眠れるし、朝も起きられるし、肥満気味だったのも締まってきたし。処方も見なおして貰って薬を減らして貰った位だ。もっとも先生が一気に減らしてしまったので反動でしばらく絶不調となり、元通りに戻してしまったのだが(苦笑
そんな流れで、「そろそろ働きたい」という意向を主治医に話したところ、「うん、そろそろ働いた方がイイね」と言われ、ようやく診断書を書いてもらってハローワークに提出した。診断書というよりは、労働可能証明書ってところかな。様式はハローワークにあるので貰ってきて主治医に渡して書いてもらった。無料で書いてくれた。
まだ少し日数があるのだが、ハローワークに行って説明を聞いて来なければならない。なんでも決められた日時に行かないと「働く意志がない」と見なされるので、失業給付の対象から外されてしまうらしい。
あ、そうそう、会社を退職して一年半というのになんで今頃失業給付が?と思われる方もいるかも知れない。恐らくサラリーマンをずっと続けている人には分からないだろう。もちろん私も知らなかった。仕組みというか考え方は簡単なんだが。
要するに私の場合、健康を害してやむなく仕事を辞めた訳だ。その状態でハローワークに登録しても、それは失業の状態とは言えない。失業の状態とは、「何時でも働ける状態にあること」が大前提なのだ。だったら病気で直ぐに働けない人は不利じゃんか!という発想は誰でも出来ると思う。失業手当を受ける権利はリミットがあるからだ。そのままにしておくと消滅してしまう。ここが要注意ポイント。
会社の社会保険関係機関から、離職票が送られてきたら、それを持ってハローワークに行き、延長申請をしておくのだ。これをしておけば、しばらく失業給付の権利を保留してくれる。働ける状態になったら、医師の書いた証明書を持って行けば、改めてそこから給付対象となるのだ。もっとも、病気で辞めた場合は、「自己都合」になるので、3ヶ月遅れの給付になるので辛いところだ。この辺りの抜け道があるかどうかは知らない。
いずれにしても私は延長申請を取り消し、ようやくその失業給付を受ける権利を発動したのだ。
正直なところ、一時期は一刻も早く働きたいと考えた。ただ、サラリーマン時代とは違って考える時間もたっぷりあったので、色々な仕事をして経験を積みたいという考えが先に立つ様になった。収入面は生活して行ける位あればとりあえず我慢というところだ。
しかし、先にも記した様に、実家に帰省したりして、田舎の状況とかを見てきたお陰で、地元から離れた時とは全く違った見方が出来る様になっていた。考えてみれば当時はまだ原付バイクにしか乗れず、行動範囲も狭かった。いきなり東京の会社に就職したので社会経験も無く、浅い見聞しか無かったノは当然だ。
もちろん、働き初めてから何度かは田舎に帰省した。しかし長くても一週間が限界だ。つまり生まれ故郷の事を知っている様で全然知らなかった。それが病気をしたお陰で時間が出来、じっくり田舎に帰省して生活してみて、地元のニュースや新聞を読み、町に出てみては小さい町だなと思ったりする機会があったのだ。そして、どうにかしてこの田舎に貢献出来る人材になりたいなと思う様になったのだ。
これは私の中のかなり重要な変化である。ぶっちゃけ私の田舎にはIT系の仕事は殆ど無い。求人情報とかもワッチしてきたから間違いない。地元でプログラマーとして働いている知人と会い話を聞いてきたのだが、やっぱりシェアは狭いとの事。元々東京で知り合った人だから井の中の蛙とは違う。田舎の実情が見えてくる。何時か近い将来田舎に帰省して活性化に貢献したいと思う様になった。
そこで再就職だ。経験を積む為に派遣会社に登録して比較的短期の仕事をして、色々な業界に脚を突っ込んで自分を鍛えたいと思っていた。人脈も積極的に作りたいなと。何故なら将来的に事業を始めたいと思う様になったからだ。しかし派遣で働くの、ちょっと待ったという状況になった。
それはハローワークで見かけた一枚のチラシ。経済大学でコンプライアンスだとか、契約だとか、リスク回避のノウハウ(要するに経営に必用なノウハウ)を無料で教えてくれるというカリキュラムがあると知ったからだ。交通費がかかったとしても是非ともこれを受けたいと思った。期間は三ヶ月。
そして派遣会社で働く事のストップはもう一つ理由がある。それはフリーランスとして仕事出来ないかな?という考えが浮かんできたからだ。IT系エンジニアのフリーランスをエージェント登録して、営業的な事をとりまとめて仕事を斡旋してくれる会社が結構あるのだ。人材派遣会社の仕組みを知って感激してしまった私だが、フリーランサーと提携する会社があるってのも感激だ。
ぶっちゃけ人材派遣会社には一つだけコンタクトして話を聞いてきた事がある。職務経歴書とか履歴書を持参したら、直ぐにでも紹介したい仕事があると言われたが、働ける様になるまで保留してもらっている。でもフリーランスで活動するのも悪くない。もちろんフリーランスならではの苦労は覚悟の上だ。それ以上に魅力的なのは、将来の独立、起業に繋がる近道だと思うからだ。否応なしに仕事を受ける時には労働条件や契約内容などをしっかり話し合わなければならない。条件が合わなければ受けなければ良い。(食って行けないと困るが)
そんな訳で今の私は、しばらく苦しい生活が続くが、大学での講習を受けて知識を増やしたいと思っている。そしてその知識を使ってフリーランスとしてどこかにエージェント登録し、仕事を受けて働いてみたい。そしてその次は田舎に帰ってアクションを起こす。具体的にはまだ見えない。でも一歩ずつ進んでみたいと考えている。
そんな訳で必須なのは、プログラミングの知識だ。最低でもUNIXのシェルスクリプト位は書ける様にならないといけないだろう。PerlかPHPも出来る様になっておきたいところだ。色々課題はあるが、無理し過ぎない程度にコツコツとマイペースで学習しようと思っている。フリーランス、個人事業主、イイ感じの言葉だ(w
投稿者 sasapurin : 23:07 |フリーランス | コメント (0) | トラックバック
間違えてましたSQL
何時もチェックしている有るサイトで、SQLが「エスキューエル」ではなく、「シーケル」と読むと知って、マジかよ!と思ってぐぐってみたら、「シークェル」と読むと解説されていた。全然知らんかった。だってデータベース系は身近に誰も教えてくれる人いないし..orz
MySQLとかPostgreSQLとか全部エスキューエルと読んでいたよ~。
マイシーケル(マイシークェル)、ポストグレシーケル(ポスグレシークェル)かよ。
ええっ違うってぇ~(汗
- MySQL(マイエスキューエル)
- PostgreSQL(ポストグレスキューエル)
うーん、もう5年近く脳内で間違ったまま繰り返されてきた記憶を修正するのは難しい。
こんがらがってきた。
投稿者 sasapurin : 20:05 |コンピュータ | コメント (0) | トラックバック